八女茶を飲みたい!
日本茶と言われて思い浮かべるのは静岡や鹿児島ではないだろうか。2021年度の都道府県別茶生産量を見ると静岡が39%で一位、二位が鹿児島で35%となっている。その後は三重、宮崎、京都と続くのだけれど、三位の三重で7%なので、静岡や鹿児島は茶の一大産地と言える。

私は日本茶が好きで、いつもは静岡県にある「駄農園」のお茶を飲んでいる。これがめちゃくちゃ美味しい。手軽に飲みたいのでティーバッグなのだけれど、十分すぎるほどに美味しい。美味しくて大人買いするほど駄農園のお茶を飲んでいる。甘みとキレ、最高なのだ。

ただ私が子供の頃に飲んできたお茶とは味が異なる。私は福岡出身なので、八女茶を飲んで育った。厳密には鹿児島にも住んでいたので知覧茶も飲んでいたけれど、八女茶の味を懐かしく感じる。現在は東京に住んでいるので、八女茶を飲むこともなくなっていた。


八女茶が美味しい理由
八女茶を飲みたくて福岡に来てしまった。この辺りの地域は筑後川と矢部川があり、肥沃な土壌と豊富な伏流水に恵まれている。日中は気温が高いけれど、夜になると冷え込み、降水量も多いのでお茶栽培に適した場所となっている。

気象条件としては年間平均気温15度前後、年間降水量1300ミリメートル以上で、育成期間である4月から9月に1000ミリメートル以上がお茶栽培にいいそうだ。八女茶が育てられる地域はまさにそれで結果として、甘みやコクがある美味しいお茶が育つことになる。

八女中央大茶園展望所から眺める茶畑はとても美しかった。お茶畑でよく見かけるファンが回っていた。これは新芽が霜の害にあわないように、上空の暖かい空気を吹き下ろすためのものだ。子供の頃によく見かけた景色で懐かしく感じた。

八女茶の歴史
日本茶は仏教文化伝来と共に中国から日本に伝えられた。805年に天台宗の開祖「最澄」が唐より茶の種をもたらし、806年には真言宗の開祖「空海」が比叡山の麓に茶を植えている。茶の歴史は古いのだ。

八女茶は室町時代中頃に、中国・霊巌寺での禅修行を終え帰国した禅僧「栄林周瑞」が持ち帰った茶の種から始まる。帰国した周瑞は修行した中国の霊巌寺と景観が似ている八女市黒木町に霊巌寺を開く。周瑞は秋田出身なので、よっぽど黒木町が霊巌寺に似ていたのだろう。

周瑞は持ち帰った茶の種を村の有力者である「松尾太郎五郎久家」に与える。育て方なども伝えられたそうだ。これが八女茶の発祥となる。霊巌寺は今も黒木町にあり、周瑞の銅像も鎮座している。



霊巌寺はとても静かだった。周りを山が囲む。銅像の前には2本の茶の木が植えられている。山を見ると石積みの畑が見え、茶を育てていることがわかる。奇岩も見える。私は行ったことがないけれど、中国の霊巌寺周辺もこのような景色なのだろう、きっと。


私は歴史を知ってから食べたり、飲んだりするのが好きだ。そのために八女茶をより理解するべく、茶畑を見て、発祥の地である黒木町を訪れたのだ。いよいよ八女茶を飲もうと思う。もっとも子供の頃にめちゃくちゃ八女茶を飲んでいたわけだけど。

八女市にある星野村で八女茶を飲もうと車を走らせた。霧が出ていた。
